延岡市:99人を臨時雇用 /宮崎

延岡市は24日、99人を臨時職員として雇う臨時雇用対策事業を発表した。昨年に続き2回目。時期は来年1~3月。

 林道の清掃や側溝の土砂除去(1230万円、38人)▽旧高千穂線鉄道跡地の除草(165万円、4人)など。日当は6000円。市の直接雇用が50人、委託雇用は49人。ハローワークなどを通じて募集している。

出産直後の乳児死亡、側溝放置疑い32歳母聴取へ

23日午前11時40分頃、福岡県直方市知古のクリーニング工場の敷地内で、コンクリート製の側溝(幅、深さとも23センチ)に生まれたばかりの裸の乳児が放置されているのを男性従業員(34)が見つけ、110番した。乳児は搬送先の病院で間もなく死亡した。母親(32)が「自分で捨てた」と話しており、県警直方署は保護責任者遺棄致死などの疑いで調べている。

 発表によると、母親は工場従業員。乳児は男の子で目立った外傷はなかったという。母親は同日午前8時に出勤して約1時間後、「トイレで出血した」と言い残して退社した。

 トイレには血痕があり、同署はここで出産した直後に乳児を捨てたとみている。同署は母親の回復を待って詳しく事情を聞く方針。

(2009年12月24日 読売新聞)

北総の森発 自然観察会

11月末、市川市の大町公園自然観察園。船橋市小室町の小室公民館が募った自然観察会「北総線の小さな旅」の参加者26人が晩秋の杜(もり)を歩いた。

 「ツタは下から、紅葉は上から赤くなる」「『ガァガァ』鳴くのが雑木林のハシボソガラス。『カァカァ』鳴く銀座のカラスはハシブト」……。散策路を歩きながら、自然観察指導員、平栗瑞枝さん(66)が繰り出す解説に時折、笑いも起きる。同公民館が1997年から年3回主催する旅だ。平栗さんが案内役を務めて39回。北総線の京成高砂駅(東京都葛飾区)―印旛日本医大駅(印旛村)の雑木林や湿地などを歩いてきた。

 エノキやケヤキなどまっすぐに伸びた立ち木に交じり、曲がりくねったイヌシデの木を見つけた。「建築材に使いにくいから、昔の人は侮蔑(ぶ・べつ)的に呼んだのね」

 小池維世子さん(78)は発足時から参加。地域に住んで50年ほどだが、仕事や子育てに追われた。参加した観察会で「身の回りにこんなに豊かな自然があったと気づかされた」。身近な植物のエピソードは家で小学生のひ孫に披露する。同公民館では安全のため、観察会の前に職員と市民が歩く。職員の花井隆男さん(57)は「北総の豊かさを実感する」という。

 樹木は環境のセンサー

01年発足した「北総の森・巨樹・古木研究会」(会員96人)も一帯の自然をいとおしむ。

 平栗さんも会員だ。育ちにくい樹種を除き、地上1・3メートルでの幹周りが3メートル以上が「巨木」。5メートル以上だと「巨樹」と呼ばれる。ケヤキやスダジイ、カヤ、クスノキ……。市内の立ち木169本を調べて05年、カラーの「ふなばし巨木・名木マップ」(船橋市緑の基金発行)をつくった。19本追加して、第2版(07年)も。

 研究会では「森は生物の主人公。巨樹巨木から学び、人間社会と共存する生態系豊かな森の再生と保全」という目的を掲げる。

 幹事・相談役の川井洋基さん(66)は樹木医だ。「樹木に寿命はなく、環境のセンサー(感知器)だ。人間の衣食住から生命にもかかわっているのに、人間は植物に生かされていることを忘れがちだ」と活動の意義を話す。

 今年は、印西市の小林地区や柏市の布施弁天一帯などを訪ね、新宿御苑で庭園美も楽しんだ。

 新年2月には「柏井・奉免の巨木」(市川市)に足を運ぶ。

 森の一本一本 生きる仲間だ

 平栗さんは静岡や長野などで育ち、中学生時代に買ってもらった図鑑で植物に親しみ、高校時代は生物部員。船橋市に住んでからも周辺の植生観察を続けた。地元公民館利用者の懇親会で訪れた自然公園で解説したのが目にとまり、同市内の各公民館講座を引き受けるようになった。08年度は10公民館で計22回。日本自然保護協会の自然観察指導員だ。

 漢字表記にもこだわる。効き目が早いとされる薬草、ゲンノショウコは「現の証拠」。別名のミコシグサは「神輿(み・こし)草」。種の形が神輿に似ているからだという。「漢字だと植物の由来を覚えやすい」

 北総線沿線も宅地化など開発が進む。平栗さんは「側溝がコンクリートになったり、畑で農薬が使われたりしてドジョウやカエルが減った。エサにするヘビも減った」と環境保全の大切さを話す。

 木々に触れながら、森への視線が変わってくる。一本一本に人生があり、同じ地球に生きる仲間ではないかと。(吉井亨)

伏見区でセアカゴケグモ40匹発見 /京都

京都市は16日、伏見区桃山町大蔵の伏見桃山城運動公園でセアカゴケグモ40匹が見つかったと発表した。側溝など3カ所に成体雌8匹、同雄5匹、幼体27匹、卵嚢(らんのう)3個を見つけ駆除したという。同区内では10月にも32匹が見つかっており、市は周辺の生息状況を確認する。かまれると脱力感や頭痛などの症状が出る場合があり、医療機関を早期受診する必要があるという。

靴から検体 DNA鑑定へ

浜田女子学生遺棄事件で、11月末に浜田市内の道路沿いで発見された島根県立大1年平岡都さん(19)=同市原井町=のものとみられる靴について、島根県警が警察庁科学警察研究所(科警研)にDNA鑑定を依頼したことが17日、捜査関係者の取材で分かった。平岡さんの靴かどうか、科警研で最終的な確認を急ぐ。

 捜査関係者によると、DNA鑑定に必要な検体は同県警科学捜査研究所が採取したとみられるが、特定に至らなかったという。より精度の高い機器を持つ科警研でのDNA鑑定で、平岡さんのものか最終判断する。

 島根、広島両県警の合同捜査本部によると、靴は11月30日、平岡さんが住んでいた寮近くの国道9号バイパス側道の側溝で発見された。捜査本部は、靴の形状や通信販売での購入記録などから、平岡さん本人のものとみているが、科学的な裏付けとなる鑑定は難航していた。

男性遺体:排水溝に、死後数週間--東京・新宿

16日午前11時35分ごろ、東京都新宿区百人町3の道路脇の排水溝内に男性の遺体があるのを清掃作業員が見つけ、交番に届け出た。遺体に目立った外傷はないが、警視庁は事件に巻き込まれた疑いがあるとみて身元確認を急ぐとともに、17日に司法解剖をして死因を調べる。=一部地域既報

 捜査1課などによると、男性は白髪交じりの60~70代で、死後1~3週間経過していた。清掃作業員がコンクリート製の側溝のふた(約40センチ四方、重さ約30キロ)を開けたところ、排水溝(幅約50センチ、深さ約1・2メートル)の中に座った状態で死亡していた。【古関俊樹】

側溝に捨てられた3歳児遺体・信じ難い風習と社会制度の不備

報道によると12月9日午後1時ごろ、広州市広縦北二環高速道路の橋の下で幼い子供の遺体が捨てられているのが見つかった。遺体は3歳になる男の子で新型インフルエンザにより死亡したかもしれないとの情報から市衛生部は周辺部を厳重に消毒した。3歳の子供を遺棄した両親は現場のすぐ近くにある長距離バス乗り場から故郷の広西省へ帰るところを警察に確保され現在も取り調べが続いている。
事件から1週間が経つが、哀れな3歳児がなぜ亡くなる直前に広州市児童医院から退院させられたか、なぜ亡くなった子供を捨てることに親は罪の意識がないのか、様々な問題が浮き彫りになっている。

亡くなった男の子の原籍は広西省貴港、貧しい農村で村の働き手はほとんどが広東省に出稼ぎに出ている。男の子の両親も広州に出稼ぎにきていた。しかし父親が勤めていた手袋工場ではこの3か月給料が支払われてなかったという。
男の子は夫婦の一粒種で、夫婦にも故郷の人々にもとても可愛がられていた。故郷の村の住民たちも今回の悲劇にただ涙にくれている。男の子は実は3か月前から小児性白血病にかかっていて夫婦にはとても払いきれないほどの医療費が負担になっていたのだ。
11月下旬、男児は発熱と咳により中山一医院に入院、その後新型インフルエンザの疑いにより広州市児童医院に転院しすぐに重篤な状態に陥り集中治療を受けた。児童医院には4日間の入院だったが治療費は19000元余りになり、退院時にはまだ6000元が未払いだった。
故郷の人の話では治療費をねん出するために両親の親族や知り合いなど大勢の人が援助したという。
しかし病院の言い分では入院4日目の12月6日に、男児の両親や親族10人余りが、どうしても男児を退院させると言ってきたという。病院では本来7日にもう一度新型インフルエンザの検査をする予定だった。男児は白血病の治療の影響で入院時にはすでに免疫機能が著しく低下していたが、病院側としては決して治療を放棄することはなかったと説明している。

しかしながら男児は治癒することなく7日早朝退院している。両親の話しによると、病院は退院する時は正門から出ないで裏門から出るように指示し、保安を呼んで男児を入れる袋を渡されたという。

果たして男児は退院時にすでに亡くなっていたのか、まだ生きていたのか、捨てられた時には亡くなっていたか生きていたか、病院と親の言い分が食い違い、いまだにはっきりしていない。

分かっていることはこの両親は外来工で広州に戸籍がないため広州市の保険治療を受けることができなかった。また任意で加入できる保険制度にもお金がないという理由で加入していなかった。そのために治療費が膨大になり、治療費が払えないために退院せざるをえなかったと話している。
これに対し広州市衛生庁ではいかなる理由があるにせよ命を救うことが大前提なのでなんらかの手続きや善処により治療継続は可能だったと主張している。

では亡くなった可愛い我が子をなぜ高速道路下の側溝に捨てたのだろうか。
実は広西省貴港の農村地帯では幼い子供が亡くなった場合、弔うことなく山や野に捨てる風習がまだ残っているという。男児を捨てた両親は故郷の風習にのっとったまでで、我が子を亡くした悲しみにくれているものの、自分たちの罪の意識は全くないという。
故郷の人々も同様で、昔からの風習で亡くなった子を捨てただけなのに、どうして広州でこの両親が責められているのか理解できない様子だという。

広州テレビのニュースキャスターも「子供が亡くなったら野山に捨てるなんて非文明的な風習がいまだに残っていることに驚きます」と話している。同国民でさえ信じ難い農村部の習慣のようだ。

靴、現場に2週間以上? 浜田学生遺棄

浜田女子学生遺棄事件で、先月末に浜田市内の道路沿いで発見された島根県立大1年平岡都さん(19)=同市原井町=のものとみられる靴は、少なくとも発見の約2週間前までに現場にあった可能性が高いことが14日、島根、広島両県警の合同捜査本部の調べで分かった。

 複数の捜査関係者によると、靴には雨にぬれた跡があるなど、発見時には一定の時間が経過していたとみられる。松江地方気象台によると、浜田市内では11月前半を中心に複数回、雨が観測され、18日以降はほとんど降っていない。

 靴があったエリアは、遺体が発見される前の10月28日から11月4日にかけて島根県警が捜索、捜査本部は、捜索後に何者かが置いた可能性も視野に入れているが、靴の状態などから、平岡さんが発見現場で何らかのトラブルに遭遇した際に脱げ落ちたという見方を軸に捜査を進めている。

 捜査本部によると、靴は11月30日、平岡さんが住んでいた寮近くの国道9号バイパス側道の側溝で発見。通信販売で県内では数足しか販売されておらず、その購入履歴や他の購入者への照会、黒っぽいストラップ付きの形状、サイズなどから、平岡さんが行方不明となった10月26日にはいていた靴とみている。DNA鑑定で最終的な確認を続けている。

新型インフルの3歳児を遺棄か 中国、医療費払えず退院

【北京=古谷浩一】11日付の北京青年報などによると、広東省広州市で9日、新型インフルエンザに感染して重症になっていた3歳の男の子が道路脇の側溝で遺体で見つかった。医療費の負担に耐えかねた両親が遺棄したとみられ、中国衛生省などが調査を始めた。

 報道によると、男の子は気管支炎などを併発して同市内の病院に入院していたが、6日深夜に両親が病院の反対を押し切って退院させていた。1万9307元(約25万円)の医療費に対し、両親は1万3100元(約17万円)しか支払っていなかった。同市衛生局は、医療費が負担できなかったための退院だったとみている。

 警察当局は両親から事情聴取を始めた。両親は退院後の3日間に何が起きたかについて、「知らない」との供述を繰り返しているという。

 中国では医療保険制度が不十分で、医療費の負担の重さが問題化しており、中国各紙も遺棄事件を大きく取り上げている。衛生省幹部は11日に北京で開かれた記者会見で、広東省に調査を求めたことを明らかにした。中国での新型インフルエンザによる死者は326人に上っている。

清掃活動:城西スポーツ少年団、地域を清掃--彦根 /滋賀

彦根市城西学区の城西スポーツ少年団(井上逸史代表)がこのほど、地域の清掃活動を行った。団員間の交流を深めようと続けており、今年で15回目。

 小学1~6年生の団員約60人が、野球、バレーボール、卓球のユニホーム姿で参加。指導者や保護者らと、住宅地の道路や彦根城の堀沿いなど5班に分かれ、上級生が下級生を指導しながらゴミを拾い集めた。

 道路沿いの植え込みや側溝、看板の裏側などにも手を伸ばし、ペットボトルや包装紙、たばこの空き箱などを分別しながらごみ袋に入れた。井上代表らは「ごみを捨てるのは最低だぞ。ルールを守ることが大事」と指導していた。

 約2時間の活動後は城西小に戻り、みんなでカレーライスを食べて楽しい一時を過ごした。【松井圀夫】