側溝に捨てられた3歳児遺体・信じ難い風習と社会制度の不備

報道によると12月9日午後1時ごろ、広州市広縦北二環高速道路の橋の下で幼い子供の遺体が捨てられているのが見つかった。遺体は3歳になる男の子で新型インフルエンザにより死亡したかもしれないとの情報から市衛生部は周辺部を厳重に消毒した。3歳の子供を遺棄した両親は現場のすぐ近くにある長距離バス乗り場から故郷の広西省へ帰るところを警察に確保され現在も取り調べが続いている。
事件から1週間が経つが、哀れな3歳児がなぜ亡くなる直前に広州市児童医院から退院させられたか、なぜ亡くなった子供を捨てることに親は罪の意識がないのか、様々な問題が浮き彫りになっている。

亡くなった男の子の原籍は広西省貴港、貧しい農村で村の働き手はほとんどが広東省に出稼ぎに出ている。男の子の両親も広州に出稼ぎにきていた。しかし父親が勤めていた手袋工場ではこの3か月給料が支払われてなかったという。
男の子は夫婦の一粒種で、夫婦にも故郷の人々にもとても可愛がられていた。故郷の村の住民たちも今回の悲劇にただ涙にくれている。男の子は実は3か月前から小児性白血病にかかっていて夫婦にはとても払いきれないほどの医療費が負担になっていたのだ。
11月下旬、男児は発熱と咳により中山一医院に入院、その後新型インフルエンザの疑いにより広州市児童医院に転院しすぐに重篤な状態に陥り集中治療を受けた。児童医院には4日間の入院だったが治療費は19000元余りになり、退院時にはまだ6000元が未払いだった。
故郷の人の話では治療費をねん出するために両親の親族や知り合いなど大勢の人が援助したという。
しかし病院の言い分では入院4日目の12月6日に、男児の両親や親族10人余りが、どうしても男児を退院させると言ってきたという。病院では本来7日にもう一度新型インフルエンザの検査をする予定だった。男児は白血病の治療の影響で入院時にはすでに免疫機能が著しく低下していたが、病院側としては決して治療を放棄することはなかったと説明している。

しかしながら男児は治癒することなく7日早朝退院している。両親の話しによると、病院は退院する時は正門から出ないで裏門から出るように指示し、保安を呼んで男児を入れる袋を渡されたという。

果たして男児は退院時にすでに亡くなっていたのか、まだ生きていたのか、捨てられた時には亡くなっていたか生きていたか、病院と親の言い分が食い違い、いまだにはっきりしていない。

分かっていることはこの両親は外来工で広州に戸籍がないため広州市の保険治療を受けることができなかった。また任意で加入できる保険制度にもお金がないという理由で加入していなかった。そのために治療費が膨大になり、治療費が払えないために退院せざるをえなかったと話している。
これに対し広州市衛生庁ではいかなる理由があるにせよ命を救うことが大前提なのでなんらかの手続きや善処により治療継続は可能だったと主張している。

では亡くなった可愛い我が子をなぜ高速道路下の側溝に捨てたのだろうか。
実は広西省貴港の農村地帯では幼い子供が亡くなった場合、弔うことなく山や野に捨てる風習がまだ残っているという。男児を捨てた両親は故郷の風習にのっとったまでで、我が子を亡くした悲しみにくれているものの、自分たちの罪の意識は全くないという。
故郷の人々も同様で、昔からの風習で亡くなった子を捨てただけなのに、どうして広州でこの両親が責められているのか理解できない様子だという。

広州テレビのニュースキャスターも「子供が亡くなったら野山に捨てるなんて非文明的な風習がいまだに残っていることに驚きます」と話している。同国民でさえ信じ難い農村部の習慣のようだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA