横浜開港記念日に「象の鼻パーク」が公園としてオープン

6月2日22時2分配信 ヨコハマ経済新聞

 横浜開港150周年に合わせて整備していた横浜港発祥の地「象の鼻パーク」のオープニング式典が6月2日に行われた。

 式典では、横浜市歌が斉唱され、中田宏横浜市長が「『象の鼻パーク』は150年前に開港した、横浜発祥の地ともいえる場所。これからはぜひ、未来を担う子どもたちにパークの名前の由来と意味を伝えていってほしい」と語った。

 オープンを記念して、NPO法人横浜シティガイド協会による「象の鼻パークガイドツアー」や、フォークデュオ「N.U.」や横浜市消防音楽隊によるステージイベントなどが行われた。

 「象の鼻」オープンと同時に、敷地内に設けられた施設「象の鼻テラス」では、横浜の創造的文化の原点である港と街の歴史に焦点をあてた「みなとの歴史展」、黒船が立体的に浮かび上がるトリックアートや日比野克彦アートプロデューサーによる灯台アートが展示される。

 関連イベントとして、同パークの開港の丘ステージで、アーティスト・キャロル山崎さんらが出演するトワイライトコンサート(6月3日~5日)、サンバや中国獅子舞など国際色豊かなステージイベント(6月6日、7日)、米海軍・第7艦隊音楽隊などによる日本大通りから象の鼻パークにかけたパレード(6月6日)が開催される。

 「象の鼻地区」は、大さん橋国際客船ターミナルのつけねからのびる防波堤の周辺地区で、みなとみらい21地区から山下公園を結ぶ水際線と日本大通りや大さん橋との接点となるエリア。面積は約4ヘクタール。防波堤を上から見ると象の鼻に似ていることから名付けられた。

 敷地内には、展示機能を備えた多目的レストハウス「象の鼻テラス」、野外ステージを併設した解放的な「開港の丘」、日本大通りから港を見渡せる「開港波止場」、横浜港が目の前に広がるビューポイント「象の鼻防波堤」、昼はモニュメント、夜は夜景を演出する「スクリーンパネル」を設置。工事中に発見された明治時代の貨物線の軌道を変えるターンテーブルの遺構や開港初期の石積み防波堤の跡などを見ることができる。

 同パークは「横浜の歴史と未来をつなぐ象徴的な空間~時の港~」という理念のもと整備された。設計者選定は、横浜開港150周年記念事業で「チャンスあふれるまち」元気な横浜を創造する人材育成に向けた取り組みとして、開港100周年(1959年)以降に生まれた若手建築家とし、横浜市在住の小泉雅生さんが選ばれた。小泉さんは「象の鼻地区」の計画にあたり、「みなと横浜の原点」を可視化する大きな風景をイメージし、FRPグレーチング製のパネルを並べた大きな光のサークルにしたという。

支局長からの手紙:運をつかむ /愛媛

6月1日13時1分配信 毎日新聞

 「オリンピックで優勝するには何が必要かわかりますか」。愛媛大教育学部の堺賢治教授に質問されました。答えに窮したのを見て堺教授は断言しました。「運をつかむことです」
 前回、この欄で取り上げた総合型地域スポーツクラブの取材をした時のことです。国立大で全国初となる同クラブを愛媛大に設立するにあたり、鹿児島県・鹿屋体育大の田口信教教授が記念講演をしました。現在の西条市出身の田口教授はその中で、五輪で優勝するには「運」が大切と説きました。質問は講演の内容に基づいています。堺教授に詳しく聞きました。
 田口教授は鹿屋体大で、柴田亜衣選手が所属する水泳部の顧問の立場にありました。柴田選手は4年生だった04年、アテネ五輪の競泳女子八百メートル自由形で金メダルを獲得しました。競泳日本女子の自由形として初の金メダルの快挙です。田口教授は「神様が運をくれた」と思い当たりました。
 柴田選手は五輪前、「体が壊れる可能性もある」と水泳部監督が振り返ったほどの厳しい練習をこなしました。しかし、それだけではありません。普段の生活では、水泳部の飲み会で仲間の不始末を片づけたり、命じられたわけではないのにトイレ掃除を続けていました。国内トップレベルの選手でありながら、率先して下働きをする姿を田口教授は見ていました。金メダルを取ってからもおごることなく、柴田選手の姿勢は変わらなかったといいます。
 田口教授が「運」を感じたのは、自らの体験に根差しています。高校在学中の1968年にメキシコ五輪に初出場し、競泳男子百メートル平泳ぎで泳法違反のため失格となりました。次の大会での金メダルを目指して猛練習するだけではなく、神頼みをしました。
 どうすれば願いはかなうのか。神様が望ましいと思うことを実践することではないか。そう考え、人の世話をしたり役に立つよう心掛けました。どんなに練習で疲れていても授業中、一度も居眠りはしませんでした。電車では決して座らずお年寄りに席を譲り、積極的に人の嫌がるトイレ掃除などもしました。
 同じ種目で出た72年のミュンヘン五輪で念願の金メダリストになりました。田口教授は「神様は僕に運をくれた」と実感しました。だから柴田選手が優勝したのも「神様の喜ぶことを自然にしてきたから」と評するのです。
 講演の内容を教わり、脈絡ないことを思い浮かべました。趣味のランニングの練習で松山市の中心部を走っていると、始業前にグループで歩道などの掃除をしている会社員や高校生を見かけます。ポリ袋を手にたばこの吸い殻などを拾いながら散歩をしている人もいます。思い浮かべたのは、そうした人たちのことです。感心しているだけでは申し訳なく、私も支局前を掃除するようになりました。側溝の近くや歩道上、街路樹の根元などの吸い殻などは絶えることなく、気持ちがついぎすぎすします。松山市では、罰則のある路上喫煙禁止条例の制定を求める動きも起きています。
 吸い殻を拾いながら運を拾おうとしているのかもしれない。吸い殻と一緒に運も捨てているのではないですか。気持ちをそう向けて掃除をしていると、心に少し余裕ができます。金メダルと歩道の掃除では目的が違うけれど、どのように運をつかむのかという点で通じるものがありそうです。
 「運」とか「神様」とか、荒唐無稽(こうとうむけい)に過ぎますか。田口教授の話をよくわかる気になっているのは、「お天道(てんとう)さまが見てるよ」と言われて育ち、今もどこかで戒めとしているからでしょうか。【松山支局長・小泉健一】
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