島根の女子大生事件1カ月/情報乏しく捜査難航

広島県北部の臥竜山で島根県立大1年平岡都さん(19)=同県浜田市=の遺体が見つかってから6日で1カ月。両県警の合同捜査本部は山中の捜索を打ち切り、捜査の重点は、11月末に平岡さんのものとみられる靴が発見された浜田市内へ移った。しかし、交友関係に不審な点は浮かばず、二つの現場をつなぐ情報も乏しい。ある捜査幹部は「点と点を結ぶ線が描けない」と漏らした。

▼挑発か、失態か△
 靴が見つかったのは11月30日午前11時ごろ。平岡さんの帰宅経路を約50メートル外れた脇道の側溝で、捜査員が偶然発見した。側溝は比較的浅く、目視できる状態。行方不明になった10月26日に履いていた靴と種類、サイズが一致し、自宅の寮には靴の箱も残されていた。

 連れ去られた際に脱げたのなら犯人の手掛かりが残されている可能性もあり、捜査本部は近くのフェンスの一部を持ち帰って、指紋検出など詳細な分析を進めている。

 しかし、付近は島根県警が11月上旬までに複数回捜索。連れ去られた現場だとすると見落としていたことになり、捜索後に犯人が置いたとみる捜査員は多い。遺体発見後の捜査の網をかいくぐったリスク承知での挑発なのか。

 捜査本部は周辺の捜索を進めているが、新たな発見はなく、島根県警幹部の一人は「見落としなら大失態。後から置かれたとしても屈辱的だ」と苦渋の表情を浮かべる。

▼「前兆」浮かばず△
 通信販売でそろえた衣服。ボランティアサークルの活動。飲食店でのアルバイト。捜査本部や同級生らの証言によると、平岡さんの生活に派手な部分は見当たらない。香川県の高校を卒業後、約半年間の大学生活は順調だったように見える。

 限られた交際範囲にトラブルは確認できず、捜査本部内には、一方的な感情を抱いた者の犯行ではないかとの見方も出ているが、「前兆」を感じさせる事実は浮かんでこない。

 一方で、臥竜山と靴が発見された付近は通りすがりで立ち寄る場所ではなく、犯人はどちらにも土地勘があるとの考え方が有力で、捜査本部は二つの点をつなぐ国道を中心に不審車両の洗い出しを進めている。

 情報提供は300件近くに上っているが、事件の報道が減るにつれてまったく情報がない日も出てきた。しかし、島根県警にとって「かつて経験したことがない大事件」(幹部)に、別の幹部は「まだやることはたくさんある。捜査員の士気は高い」と強調した。

【島根女子大生遺棄】捜査難航 住民に不安 遺体発見から1カ月 地元・浜田市 情報提供へ懸賞金検討

島根県立大1年、平岡都さん(19)の遺体の一部が広島県北広島町の臥龍(がりゅう)山で見つかった事件で、遺体発見から6日で1カ月になる。11月30日、平岡さんが住んだ学生寮近くで、平岡さんのものとみられるスニーカーが発見されたが、事件後に置かれた可能性も浮上し、捜査の撹乱(かくらん)も想定される事態に。遺留品からの捜査は難航しており、住民の不安が増す浜田市は、有力な情報提供者に出す懸賞金創設の検討を始めている。

 ■スニーカーは撹乱?

 スニーカーは11月30日午前11時ごろ、学生寮近くの脇道側溝から見つかった。左足用だけで、平岡さんがはいていた靴と酷似。DNA鑑定ができる汗などはなかったが、平岡さんのスニーカーの可能性は高い。しかし、この場所は10月29日から11月4日までに捜索済みだったため、「何者かが捜査の妨害を狙い、捨てた可能性は否定できない」(島根県警幹部)という。

 これまでに確認された遺体の一部からは猟奇的な要素を示す部分が多い。頭部には暴行を加えた跡があり、胴体にも燃やそうとした跡が残っていた。遺体は切断されていたが、切断面からは複数の刃物が使われていたとみられている。
■少ない遺留品

 合同捜査本部は遺体の一部が見つかった臥龍山の近畿、中部管区機動隊などの応援部隊を含め延べ約5300人を投入。しかし、遺留品は少なく、平岡さんの血液が付着した袋片が見つかったぐらいだ。遺体のうち、まだ発見できていない部分も残っている。合同捜査本部長の雪野博・島根県警刑事部長は「平岡さんの友人など知っている人の聞き込みを中心に足取りを確認している」。捜査幹部の1人は「知人、顔見知り、行きずりなど、あらゆる想定している」という。

 ■ショックで帰省

 長期化の様相に、住民や大学に通う学生らの不安は高まっている。島根県立大教育研究支援部によると、事件後にショックを受けて帰省した学生は28人に上り、臨床心理士らによるカウンセリングには45人が相談した。女子学生(19)は「犯人が同じ空気を吸っていると考えるだけで寒気がする。夜1人で部屋にいると怖い」と訴える。

 こうしたなか、浜田市は、独自の懸賞金制度を設けることを検討。市は「絶対に捕まえる意思表示として非常に効果的。逮捕こそ最大の再発防止策になる」と、警察、市防犯協会、家族と早急に協議する考えだ。

不安和らげ笑顔取り戻して

県立大1年の平岡都(みやこ)さん(19)(浜田市原井町)の遺体が広島県の山中で見つかった事件を受け、同市の子どもたちの心を和ませようと、雲南市木次町里方、飲食店経営村松憲(けん)さん(62)が3日、浜田市内の六つの幼稚園にショートケーキ計300個を届けた。同大の学生2人もボランティアとして駆けつけ、園児と楽しい一時を過ごした。

 同市内田町の市立美川幼稚園では、村松さんがサンタクロースの衣装でケーキを抱えて登場すると、園児から大きな歓声が上がった。園児たちは、村松さんらと一緒に「ジングルベル」の曲に合わせて踊り、もらったばかりのイチゴのショートケーキをほおばった。

 村松さんは高校生時代、豪雨で自宅が全壊する被害に遭遇。その際に受けた義援金の恩返しにと、1977年から毎年、クリスマスシーズンに、災害などの被災地の子どもやお年寄りらにケーキを届けている。過去には阪神大震災や新潟県中越地震の被災地にも届けた。今年は豪雨被害に見舞われた兵庫県佐用町や山口県防府市にも贈るという。

 村松さんは「事件で親御さんの心配も大きいと聞く。不安を少しでも和らげたい」と言い、一緒に参加した同大2年、的山菜々美さん(19)と森田望沙(みお)さん(20)は「事件の後だけに、サンタクロースと園児の笑顔に元気をもらえた」と話した。

     ◇

 一方、県警は3日も60人態勢で、浜田市原井町の県立大学生寮に近い同市杉戸町の国道9号バイパス沿いなどを捜索した。

 この日は、11月30日に平岡さんの靴と見られる黒いスニーカーが発見された側溝から、北東に約300メートル離れたバイパス沿いの斜面と、大学西側に隣接する「海のみえる文化公園」内を中心に捜索。雨の中、かっぱを着た警察官らが、胸の高さまである雑草を刈り払いながら、遺留品などを捜した。

 4日も50人態勢で周辺の捜索を続ける。

(2009年12月4日 読売新聞)

平岡さんの靴発見前日に不審車 四輪駆動、特定進める

広島県北広島町の臥竜山で島根県立大1年平岡都さん(19)=同県浜田市=の遺体の一部が見つかった事件で、平岡さんのものとみられる靴が発見された前日朝、付近で不審な四輪駆動車が停車しているのを地元住民が目撃していたことが2日、捜査関係者への取材で分かった。

 捜査関係者によると、靴は放置されたばかりにしては汚れが目立つという。両県警の合同捜査本部は、靴を詳しく分析して遺棄された時期を調べるとともに、目撃された車の特定を進める。

 捜査関係者によると、11月29日朝、平岡さんの帰宅経路の山道と国道9号の高架が交差する場所付近の脇道に止まっていた車を、地元住民が目撃。金属製のバーが前部に付いたベージュ色の四輪駆動車で、靴が見つかった側溝からは少し離れていたという。

 靴は11月30日午前、捜査中で現場付近を通り掛かった警察官が偶然見つけた。

 付近の住民によると、脇道は普段、人や車の通りはほとんどない。島根県警は10月28日から11月4日、脇道を含めた現場周辺を複数回にわたり捜索していたが、靴は見つかっていなかった。

平岡さんの靴か 寮近くの側溝で発見…島根女子大生遺体遺棄事件

島根県立大1年の平岡都さん(19)(島根県浜田市)の遺体遺棄事件で、平岡さんが行方不明当時に履いていたとみられる靴の片方が30日、学生寮近くの道路沿いで見つかった。アルバイト先のショッピングセンターから寮への帰宅経路に近く、島根、広島両県警の合同捜査本部は平岡さんの足取りを解明する手がかりになると判断。この場所で事件に巻き込まれたか、犯人が警察の捜索後に靴を捨てた可能性もあるとみて調べている。

発表によると、見つかったのは、黒色のスニーカーの左足用で、血痕はなかったという。平岡さんが住んでいた学生寮の北東約400メートルにあるバイパス高架下の側道沿いの側溝(幅、深さ約30センチ)で、捜査員が発見した。両県警は、平岡さんの靴かどうか確認を急ぐとともに、付着している土などの微物鑑定も進める。

 平岡さんは10月26日夜、センターを出た後、連絡が途絶えた。センターから学生寮までは約2キロ。靴が見つかったのは、平岡さんが普段、よく利用していた道と交差する側道を約30メートル東に入った場所だった。周辺は街灯がなく、夜間の人通りも少ない。

 両県警は、靴の発見場所近くで、不審者や不審車両を目撃した人がいないか、聞き込み捜査を進め、まだ見つかっていないバッグなどや、犯人につながる遺留品がないか周辺を捜索している。一方、この側道周辺は、平岡さんの捜索願が出た10月28日から11月4日までの間、島根県警が捜索していた。この日、発見した時は、側溝の中に雑草が生えていたが、靴は見える状態だったという。

 平岡さんの遺体の一部が広島県北広島町の臥龍山中で最初に見つかったのは11月6日。両県警は犯人が、捜索後に隠し持っていた平岡さんの衣服や靴、所持品などを、それぞれ別の場所に捨てた可能性も捨てきれないとしている。

 センターから約500メートルのコンビニ店など周辺の防犯カメラに平岡さんの姿は映っていなかったが、角度によっては姿をとらえられない場合もあるという。

(2009年12月1日 読売新聞)