<飛鳥寺跡>7世紀の石敷き道路見つかる 中枢結ぶ交差点か

11月25日2時31分配信 毎日新聞

 大豪族・蘇我馬子(そがのうまこ)(?~626年)が建立した国内初の寺院、飛鳥寺跡(奈良県明日香村、596年完成)で、7世紀のものとみられる石敷きの道路、階段状の石組み溝が見つかった。調査した奈良文化財研究所によると、日本書紀が大化の改新(645年)の中心人物、中臣鎌足と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)が出会ったと伝える「槻木(つきのき)の広場」や、同寺、飛鳥京など飛鳥の中枢施設を結ぶ交差点の一部の可能性があるという。

 現在の本堂(当時の中金堂跡)から約140メートル南東の水田を調査した。石敷きの道路は、北と東のへりにそれぞれ縁石(約70センチ大の花こう岩)が長さ4メートル、2メートルにわたり施されていたことから北東角と判明。また、石敷き道路の東隣では、50~70センチ大の花こう岩で築いた石組み溝を南北4メートル分確認。西側が2段、東側が3段積みの階段状で、東西幅は0.7~2.6メートル、深さは20~80センチあった。

 道路は飛鳥寺と飛鳥京の間に位置し、今回の調査地から西へ約30メートル付近では過去にも石敷き道路が見つかっている。また、飛鳥寺と飛鳥京の東には、現在も南北に丘陵が連なる。今回は、丘陵沿いに想定される南北道路(過去の調査で一部確認)は見つからなかったが、石組み溝をその西側溝と考えると、橋などの構造物を介し、東西を走る石敷き道路と南北道路は丁字状に交わる交差点が想定できるという。【林由紀子】

 ▽松村恵司・同研究所都城発掘調査部長の話 飛鳥の土地利用を考える上で貴重な発見。石敷きの道路は、飛鳥寺参拝のための空間を兼ねていたのだろう。

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