スペンサー銃の弾出土、久留米藩 戊辰戦争で使用?

久留米市は12日、京町の京隈侍屋敷遺跡で江戸時代の武家屋敷や道路の跡、スペンサー銃の弾などが見つかったと発表した。市文化財保護課は「武士の居住区の様子と、久留米藩でも当時、最新鋭とされた武器を使っていたことがわかった」としている。

 同藩では、上級武士は久留米城内に屋敷を与えられたが、中級、下級の武士は城周辺の京隈(京町、城南町)や櫛原(櫛原町)に住んでいたとされる。

 今回の発掘調査は、九州新幹線開通に向けたJR久留米駅周辺整備の一環。約2000平方メートルを調べ、武家屋敷数軒と屋敷を区切る道路が見つかった。道路と屋敷の間には側溝跡や漆喰(しっくい)を塗った壁の跡があった。

 藩士の可児(かに)家跡からは、茶わんなどの陶器のほか、子どもたちがままごとに使ったとみられる数センチのかまどや花瓶も出土。貯蔵用の穴倉や、ごみ捨て穴も見つかった。

 同家跡からは、スペンサー銃の未使用弾46発も出土。スペンサー銃は、米国の南北戦争時に使用され、江戸末期に佐賀藩によって輸入されたもので、戊辰(ぼしん)戦争では最新鋭の銃として活躍した。これまで久留米藩での使用を示す文献はなかったが、同藩でも使われていたことがわかったという。

 久留米藩は戊辰戦争で政府軍として東北に追討軍を派兵し、可児家は隊の幹部として参加していた。同課は「後の西南戦争前に政府は武器を回収しているが、使用しなかったものを隠していたのではないか」と推測している。

 同課は15日午前10時から、現地で説明会を開く。予約は不要。問い合わせは市埋蔵文化財センター(0942・34・4995)へ。

(2009年11月13日 読売新聞)

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